「私は情報の並列化の果てに、個を取り戻す為の一つの可能性を見つけたわ。」「因みにその答えは?」「好奇心、多分ね。」
完全に情報化されたら個性を失ってしまうかもといったセリフもあるけど、
「好奇心」があれば、個性を取り戻せるっていうことなんでしょうかね。
組織や社会の中で与えられた情報に従うだけでは個性は生まれず、
純粋な自分の心から生まれた好奇心に耳を傾けないと、
自分ならではの人生を歩みにくいのかもしれませんね。
何が社会での正解か、ではなく自分の好奇心に耳を傾けよう。
「企業のネットが星を被い 電子や光が駆け巡っても 国家や民族が消えてなくなるほど 情報化されていない近未来---」
ということは、完全に情報化されてしまったら
国家や民族が消えてしまうってことなんでしょうか・・。
どんどん社会が情報化されていくとするなかで、
国家や民族ひいては会社のような社会や組織を保ちたいと思うのならば、
情報化されない部分、たとえば個々人の感覚や体験といったものも
大切にしないといけないんでしょうね。
その人を見る時はその人ならではの感覚や体験を大切にしよう。
「すべての情報は共有し並列化した時点で、単一性を喪失し動機なき他者の無意識に、あるいは動機ある他者の意思に内包される」
もし組織やチームのメンバーに、行動をともにしてほしいと思うであれば、
「すべての情報を共有」するほうがいい、ということなんでしょうね。
どうしても伝えたい情報だけを、いい話だけを、伝えたくなるけど
まるで有線でつながるかのように、
自分がどう感じたのか、どういう感情を持ったのかを含めた情報を共有すると
「リーダーの意思に内包」されるんでしょうねえ。
コミュニケーションは日頃から全てを伝えるべし。